〜二見郷土誌より〜
君ケ渕より県道をしばらくいくと郵便局、小学校のある集落に達する。そこからさらに200米位いった所から右手の方に坂をおり農道を辿って下大野川を渡り田ん圃の中を南方へ進むと中学校付近に出る。この近く、路木山の麓に一つの池がある。
古老の話によれば、この池の水は秋のよく晴れた日に真っ赤な血の色に変わり、そのありさまはなんとも言い難い不気味さをたたえていた、とされるがそれは何時であったかはわからない。又筆者の友人も中学生の頃、この池の水が、血の色にそまっているのを2・3人で見たと話していた。昔、二見城城主、某が、ふとした出来事から、お宮と呼ばれる若い女を殺害してこの池に投げ込んだと言う。お宮は成仏出来ず、おのれの命日には池の水を血の色に変えたため里人達は恐れをなしてこの池に近寄らなかったと言う伝説がある。
一説には、二見城城主南安藝守種重と、牧すおう守は、眤懇の間柄だった。ある時安藝守が牧殿の所持する名刀を譲ってくれるようたのんだが、すげなくことわられた。その後再三再四たのみこんだが牧殿は頑として聞き入れなかった。この事に腹をたてた安藝守は、ある夜、牧殿を襲って、その刀を奪うことを密議していた。このことを盗み聞いたお宮が牧殿に知らせに走った。安藝守は大そう立腹して、何知らぬ顔で帰ってきたお宮を池のほとりで待ち伏せ、殺害してこの池に投げ込んだと言う。それから亡霊が池の水を血の色にかえるようになったとも伝えられる。
先年この池のほとりにお宮の霊をなぐさめるため、二見本町の小山金吾氏によって地蔵が建てられ、お宮地蔵と呼ばれて土地の人達の信仰をえている。
ちなみにこの池は近年、灌漑用水に使用されている。
その3 「宮田の堤(お宮池)」
路木山は、二見の中央に高くそびえる山である。
昔、この山の山頂に金干城と云う城があったと伝えられる。山頂より望むと東下方に坂本村の多良木地区の大半は見渡せる。二見地区にしても赤松、洲口地区を欠くだけですべて展望できるほどの高地で、はるか八代海はもとより、天草の島々まで遠望できる。
大谷林道より左側に入る小さな山道がある。そこを登っていくと平らな山径が続いており、しばらくいくと右側に登る道がある。
険しい山道を登りつめると、路木山の山頂に着く、付近は雑木林で平地と云っても小さな小屋がやっとたてられたほどの所である。また少し下ると平坦な所もあるが、これらを総合すると、金干城は当時外部からの進入者の見張小屋であったと思われる。
南地区の古老の言によれば、路木山の山頂付近で近年瓦竿が出たが現在はその場所は不明との事である。
その5 「金干城(路木)」