〜二見郷土誌より〜
二見本町の正音寺の横の市道を東へしばらくいくと、民家のはずれに突出した山がある。この山の中に幾つかの墓があるが何れも自然石で雑木林の中にヒッソリとして建てられている。墓碑名が刻まれていないので、坂井善左衛門の墓は不明である。善左衛門は佐敷城城主、加藤与左衛門重次の家臣で城主が朝鮮に出兵の為留守を守り、薩摩の梅北宮内左衛門国兼らの乱にまきこまれ、城内での宴会の席にて、梅北に初大刀を浴びせて謀を以って乱を治めた人物である。晩年、二見に隠棲し、寛永4年(1627年)正月に歿す。墓は二見正音寺の東方にありとされている。
二見、破木線の県道沿い(野田崎町)の小さな森の中にコンクリートで作られた祠がある。(高さ1米20センチ巾70センチ)の小さなものである。その中に紫折大荒神と記された御神体が祠られている。
この神さまを村人達は、紫折神さんと呼んでいる。
昔から、この前を往来するときは紫折神さんに、紫をお供えして通ると旅の疲れがとれ足が軽くなると云う伝説がある。
近所の古老の話によれば、昔、ある国から武士の親娘が戦に敗れて逃げてきたと云う。年の頃、17・18才位の娘は旅の疲れと空腹で歩くことさえできないため、野宿することになった。夜更けて、娘の寝姿を見た武士は、義理も人情も忘れて不倫の関係を結んでしまった、ところが娘はたちまち元気になって旅を続けた。ある日、親娘がこの地まできたとき、ふたたび娘が疲れを訴え、父親にこの前の事を所望したため父親は激しく怒り一刀のもとに切り捨て娘のしたいに紫をかぶせて立ち去ったと云う。
それを知った村人達は娘の霊を弔いこの森に祠ったと伝えられている。これが二見野田崎町に伝わる紫折大荒神の物語である。
その6 「柴折大荒神」
その5 「坂井善左衛門の墓」